官僚日記

理想の女、理想の政策

なぜ官僚が作る資料はわかりにくいと言われるのか

民間に行った友人と話しているとたまに上がる話題、「なぜ官僚が作る資料はあんなにわかりにくいの?」

答えは簡単で、そこに恣意性が入る余地があったら行政として終わっているからである

仕事柄、戦略コンサルなどが作る資料もたまに拝見することがあるが、基本的に1枚あたりの情報量が少ない。1スライド1メッセージを徹底しているんだと思う

が、役人がそんなことをやっていると何枚スライドがあっても足りない。というのも、クライアントというひとつの企業(組織)とだけ向き合っていれば済む彼らと違って、役人はとんでもない数のステークホルダーを相手にしているので、役人が作る資料はどこの誰から何を指摘されても説明できるようなカバレッジ範囲が命になってくる

つまり、選挙で選ばれたわけでもない役人が、行政実務上の課題の一つ一つに対してビビットなメッセージを打ち出してしまうこと自体がお門違いなのだ。メッセージを作るのは政治の仕事。行政は「みんなが納得する合理的なプロセスの上で」実行されなければならない使命をもっているので、穴があってはいけないのである

加えて、単純にあとで振り返った時に資料価値があるのはどちらなのか?という問題もある。プレゼンでの発表1回こっきりですむような性質の資料であればある程度情報量を削っても問題化することはないだろうが、一度公表されてしまうと延々と残り続ける役所の資料の場合、単純なレファレンスとしての参照価値も求められてくる

以上が役所の資料がわかりにくいと言われる主な原因。しかし、実際にその資料を用いて対外的に誰かに説明(レク)を行う場合、資料に示されるストーリーラインに沿いつつも、自分の言葉で「要はこういうことです」とクリアに説明できない役人はポンコツと言われても仕方がないと思う