官僚日記

現役若手官僚の絶叫

国と地方の関係について

中央省庁といえば聞こえはいいけれど、所詮やることなんてのはあまねく「2、000の地方基礎自治体のために一定の共通ルールを作ること」の一言に尽きる

どんなに国会議員が声をあげようとも、どんなに中央の官僚たちがその声に応えて素晴らしい共通ルールを作り上げようとも、最後の最後、地方基礎自治体単位で見て「良い」と思えるものでなければ本当の意味で実行はされない

まちひとしごと創生基本方針に示されているように、これからの時代の中央官庁の役目は、いかにこれら基礎自治体職員一人ひとりに頭を使ってもらえるようなシステムを作り上げるか、地方が主体的に考えていく環境を整備していくかに集約されていく

その萌芽とも言える中央官庁の取組の例が以下(カッコ内は主導官庁と思われるもの)

地域経済分析システム:RESAS(経産省

地方自治体が自分たちを取り巻く経済環境を考えられるよう、関連統計を包括的にまとめアプリケーション化したデータベース。経産カラーが強すぎてぶっちゃけ使い勝手は微妙な気がするが、役人がここまでUIを意識して作ってくれたということ自体が賞賛に値する

地方創生推進交付金内閣官房

自治体が手あげ方式で「こんな先進的なことをやるのでお金ください!」と言って国からお金をもらう制度。とは言え審査基準は各種交付金の中でも比較的高い方で、事例集を見ると目をひくものもいくつかある

国にも様々な補助金があるが、用途をここまで大括りにしたものはまず見ない

NDB(厚労省

自治体のレセプト情報から診療報酬をかなり細分化して地域別にデータベース化したもの

加工度が低いため、基礎自治体がそのまま使うにはかなり使い勝手は悪いが、門外漢にとってはわけのわからない医療費を、それなりの粒度で地域間比較可能な形に落とし込んでくれた点は大いに評価できる

政策、施策、事業はどう違うのか

行政執務の手段・方法には、大きく分けて政策・施策・事業の3つの単位があり、政策が最も大きな単位、事業が最も小さな単位と考えれば良い。それぞれの具体的な違いについては以下の通り

政策

最も大括りのもの。環境政策、財政政策、社会保障政策、観光政策、などなど

万人にとって最も馴染みがある単位で、主に政治家や学者のゾーン

施策

政策の方針が決まったとして、では具体的に何をどうやるのか?を考えるときに出てくる単位

事務方のゾーンは主にここから

例えば訪日外国人観光客を呼び込むために広報施策を打つ、とか

事業

事務方の中でも特に課長補佐以下の若手のゾーン

例えば広報施策を打つにあたってなんらかのリーフレットを作るとか、youtubeに動画コンテンツを載せるとか

あるべき姿

それぞれの立場の人間は、それぞれに応じた単位で活動しなければならない。政治家が事業の一つ一つに首を突っ込んでいれば現場は回らないし、役人が政策を考え出すとろくなことがないと思う

残酷なる霞が関

後輩職員と話していたら、土曜は内定者たちと飲み会だと言っていた。そうか、もうそろそろ1年目が入ってくる頃か…と遠い目で入りたてのころの自分を思い返す

俺が配属されたのは局の総務課のようなところだった。1年間の刑期を満了し満面の笑みをたたえた2年目の職員から10分程の簡単な引き継ぎ説明だけを受け、即実戦に投入された。配属後の最初の大きな仕事は大量の国会の想定問答の割り振り。要は「委員会質疑がちょうど翌朝予定されている。10人の議員が合計で100問をうちの大臣に質問してやると事前通告してきているが、そのうち80問はお前の部署の管轄だから、朝までに80問分の想定問答を作って大臣に説明しろ」というオーダーがその日の20時に降りてくるのだが、実質的にこれを俺1人でさばく必要があったためかなりしんどかった記憶がある

職員一人が生産できる想定問答はどんなに処理力が高くとも1日10問が限度なので、とても自分の課だけでは引き取りきれない。大半の問をいくつかの課に降ろさないとならないのだが、過酷なのはその調整プロセスである。基本的に局内の他課は自分たちにとって何の実入りもない国会対応には非常に非協力的であれやこれやと理由を作って簡単には仕事を引き取らないため、「いかにお前らがこの問を作成するのにふさわしい課か」みたいなことをゼロから理詰めで考える必要がある。幸いにして役所は「前例主義」文化なので、割り振りの前例データベースを検索して類似した問を過去に作成した実績があれば説得しやすいのだが、何も引っかからないときはゼロベースで理屈を作る必要がある。そして委員会の質疑開始時間だけは絶対に待ってくれないのでとにかく時間がない。問を他課に割り振るためのロジック作りに費やして良い時間はせいぜい1問あたり1分が限度なのだが、生煮えな理由で他課に割り振ろうものなら執務室中にとどろきわたる大声で「クソ詰まってねえ理由で持ってくんじゃねえ!」と一蹴される。今ではめっきりだが、時に胸ぐらをつかまれて「◯ね」乃至それに類する言葉を吐きかけられることもあった。当時の俺はとにかく必死だったので、右も左もわからないなりに類似する前例や内規で反撃したり、どうしても平行線の場合は誰にも相談せず「お宅に割り振るってことで(偉い人の名前)さんまでクリアとってるんで、ゴネたいならもっと上の人出して下さい」などとハッタリかましたりして切り抜けたものだった

そんなこんなで大臣への説明予定時刻の朝7:00直前まで想定を作り続け割り振り続け、分厚い数百ページの想定問答集の束を大量印刷し、開始1分前に大臣室に持ち込むまでが俺の1日だった。もちろん国会対応以外にも各種会議の運営から予定表の作成といったルーティンまで仕事は大量にあり、1分たりとも気が抜けない日々であった

さて、霞が関では若手であっても、こうしたハードワークに耐性がない、仕事の処理力が低いと少しでも判断された瞬間に本流からスポイルされ、あっという間に干されてされてしまう。同年代の仲間内で「あの程度で◯ぬなんてクソつかえねー笑」と平気で陰口をたたかれるのはもちろん、二度と「生き残り組」と対等に口を聞くことはできない。どんなに官庁訪問で評価されようが、公務員試験で1位をとろうが、一度失格と判定された瞬間にわけのわからない新興国に飛ばされたり、代々2種職員がいたようなポストに飛ばされたりとその末路は惨憺たるものだ

もちろん階層が上がるにつれて求められるものはどんどん変容していくので、今ではあの頃ほどの体力仕事は求められない。それでもなお激烈な競争環境にあることは疑いなく、しかも外銀・外コンのように超短期決戦で終わってくれる性質のものでもなく、いつ果てるとも知れぬなか、溜め込んだ鬱積を部下へのサディスティックな詰め殺しでぶちまけながら、日々ギリギリの戦いに明け暮れているのが俺たちの悲しい本質である

考える人、指示する人、実行する人

この世の中は3層構造である。すなわち、

・問題の所在を明らかにし、何をなすべきか考える人間(A層:学者、シンクタンクコンサルタント的な集団)

・A層から提示されたいくつかの理論のうち一つを選択してなすべきことを具体的に指示する人間(B層:政治家、経営者的な立ち位置)

B層から与えられた指示を具体的な形に仕上げていく人間(C層:官僚、一般ビジネスマンなど現場で働く人々)

の3者。俺はC層なのでその立場からものを言おう。いまこの国にA層は不要だ。ぶっちゃけて言えば、偉そうな審議会でA層たちを集めて延々と議論している「べき論」の中身というのは、本質的には30年前からほとんど変化がない。少子高齢化がヤバイ、借金がヤバイ、地方がヤバイ、経済構造がヤバイ。それらがヤバイなんてことはみんなわかっていて、それこそ現場の作業員にすぎない官僚たちも、上は事務次官から下は入省1年目のひよっこまで当然認識しているのだが、何か理由があって解決できないまま積み残しとなってここまでやってきたわけだ。このままいくと国の借金がとんでもないことになるなんてことは耳にタコができるくらい聞き飽きてんだ

より正確な議論をするのであれば、少なくともいまこの国には(1)超具体的で、(2)実行可能性をすみずみまで点検した上で、(3)クリティカルな処方箋を提示できるA層だけが求められている。いま審議会にお呼ばれしているようなA層は、大抵上記のいずれの基準も満たしていないことが圧倒的に多い。優秀な人でも(1)と(3)をギリギリクリアできるくらいで、およそ(2)の視点はない

ではなぜこの国の行政がギリギリのところで回っているかと言うと、B層とC層の尽力による部分が大きいと思っている。そもそもA層が圧倒的に優秀であればB層の仕事はない。選択した提言をそのままC層に伝えればお役御免だ

ところがA層が無能すぎるがゆえに、B層・C層であっても一定程度の付加価値をつけてあげないとどうにもこの国は回らなくなってしまっている

あるべき姿(国の借金をなくす)はわかっている。どうすればいいか、結論(歳入を増やす)は出ている。しかしどうしても実現が難しい(消費増税は選挙に負ける)。では、どうすれば目標に向けて一歩でも前進していくことができるのか(→比較的実現が容易な小玉な施策の積み重ねなど)。国家行政の最前線で、B層とC層は本当に毎日頭を抱えながら奮闘している

よく「官僚組織は日本最強のシンクタンクなのだから、政治家は官僚をもっと活用すべき」という言説を拝見するが、それは本来的な役割としてはおかしい。国政の現場に携わる人間から見れば、この国にまともな学者やまともなシンクタンクが存在しないから、本来は現場の作業員にすぎない官僚がやむを得ず知恵を絞っているだけなのだ

「官僚支配」なのではなく、官僚にすべて丸投げせざるを得なかっただけなのでは?

A層の強化と淘汰がのぞまれる

若手キャリア官僚の役職別業務

課長以下の役職別業務について。

【課長】課で一番えらい人。基本的に作業はせず、体外対応や下から上がってきたもののチェックがほとんどだが、重要なプロジェクトの最初の動き出しは課長が取り仕切ることが多い。この役職年次から熾烈なサバイバルレースが始まり、人事もある程度露骨になっていく。部下も一気に増えるため、突き上げを食らう数も最も多く、中間管理職としての手腕がシビアに問われる。大体45歳前後〜50歳のキャリアがつく。

【企画官】課長一歩手前のポスト。併任などで課長が不在の課では実質一番えらい人になるが、基本的にスタッフ職で特定の部下をもたない遊撃職として配されることが多い。40歳手前でこのポストになるが、ほとんど2年程度の短期間ですぐ課長になることが大半。管理職の中では最下位という位置づけで、中二階職の勉強ポストも多い。

【課長補佐】その課の実務上の最高責任者。おおよそ30歳〜40歳までで、駆け出し補佐は「えらい係長」のような仕事をしているだけだが、年次の高い補佐になると部下の人事評価権が与えられ、一気に責任も増える。その分できることが増え、雑用から解放されて仕事が面白くなってくる役職。実質的にこのあたりから出世競争が激化し出す。花形部局の総務課の筆頭補佐をこなせれば同期では頭一つ抜けた存在となる。

【係長】20代中頃〜30歳。場合によっては部下がおらず末席となることもあるが、1〜2名の部下がつき上司からも当てにされるようになるポスト。とは言えやっている内容は係員とあまり変わらず、コピー取りから日程調整・資料作成まで。たまに議員レク対応などもこなし、国会答弁作成はこの役職の人が主力となる。自分の仕事もしながら未熟な係員の指導もしなければならず、体力的には一番しんどい役職だが、管理職から意見を求められることも増え、仕事の幅は広がる。

【係員】大体入省2〜3年目まで。あらゆる雑用を一手に担い、裁量はほとんどない。朝から晩まで倒れる直前までこき使われるが、そこで倒れず生き延びることができるかどうかが役人人生最初の試金石。役所によっては地方等への外部出向が一律に課せられ、羽を伸ばせることもあるが、本省係員は常在戦場である。

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無題

国会もなく閑散としていた役所に政治家たちが戻ってきた。財務省を辞めた知人が「役人辞めたらただの人だった」と言っていたが、政治家ほどその落差を滑り落ちてしまう人種もいない。常に死と隣り合わせの緊張感は、役所にはない。だからこそ自分の立身出世にばかり目が向いてしまう。他に有り余るパワーのやり場がないからだ

月に300時間残業しようが400時間残業しようが、国民が目に見える形で喜んでくれることは絶対にない。どんなに立派な法案を通そうが、完璧な会議設計ができようが、それが国全体の利益になっているはずだと妄信できるほど純朴な役人はいないだろう

そんな組織だからこそ、曇りなき心の月を先立てて、先の見えない世界を照らしながら一歩一歩進まねばならない

官僚は無能なのか

よくある官僚無能論について。最近では不夜城霞が関で薄給ながら24時間365日国のために尽くす素晴らしい人々などという見方もちょこちょこ出てきているが、官僚無能論は未だに日本に根強い。実際に働いている人間からすると、問題の根本は非常に単純明快で、

年々業務量は膨大化していっているのに人数は削減される一方

というただ一言に尽きると思う。

基本的に役所というのはその存在の性質からしてスクラップアンドビルドが極めて苦手な組織である。基本的に彼らは「効率性」という言葉を全く重んじない。何か新しいことを立ち上げるのに理屈が必要なのはどの組織でも同じだが、鳴り物入りでスタートしたある行政サービスが何年かののちその役割を終え、明らかに当初からは注目度が低下し誰も気に留めなくなったのに、「廃止する理屈がない」という理屈で延々と続けられる行政サービスのいかに多いことか。

一方で野党は延々と公務員バッシングを続け、行政のスリム化の名のもとに定員は年々縮小されていく。これでは当然一人あたり業務量は増加し、本来注力すべき業務へのリソース配分が低下することでクオリティの低い行政サービスが提供されてしまう。

こうしてずさんなアウトプットを見た政治家と国民が「最近の官僚どもはだらしない」と騒ぎたて、もっとこの役立たずどもの人数を減らせと喧伝し、さらに少ない人数で既存のあらゆる所管業務を担当することになり、一層低質なサービスが供給され、・・・という無限地獄が繰り返されていくのである。