官僚日記

現役若手官僚の絶叫

残酷なる霞が関

後輩職員と話していたら、土曜は内定者たちと飲み会だと言っていた。そうか、もうそろそろ1年目が入ってくる頃か…と遠い目で入りたてのころの自分を思い返す

俺が配属されたのは局の総務課のようなところだった。1年間の刑期を満了し満面の笑みをたたえた2年目の職員から10分程の簡単な引き継ぎ説明だけを受け、即実戦に投入された。配属後の最初の大きな仕事は大量の国会の想定問答の割り振り。要は「委員会質疑がちょうど翌朝予定されている。10人の議員が合計で100問をうちの大臣に質問してやると事前通告してきているが、そのうち80問はお前の部署の管轄だから、朝までに80問分の想定問答を作って大臣に説明しろ」というオーダーがその日の20時に降りてくるのだが、実質的にこれを俺1人でさばく必要があったためかなりしんどかった記憶がある

職員一人が生産できる想定問答はどんなに処理力が高くとも1日10問が限度なので、とても自分の課だけでは引き取りきれない。大半の問をいくつかの課に降ろさないとならないのだが、過酷なのはその調整プロセスである。基本的に局内の他課は自分たちにとって何の実入りもない国会対応には非常に非協力的であれやこれやと理由を作って簡単には仕事を引き取らないため、「いかにお前らがこの問を作成するのにふさわしい課か」みたいなことをゼロから理詰めで考える必要がある。幸いにして役所は「前例主義」文化なので、割り振りの前例データベースを検索して類似した問を過去に作成した実績があれば説得しやすいのだが、何も引っかからないときはゼロベースで理屈を作る必要がある。そして委員会の質疑開始時間だけは絶対に待ってくれないのでとにかく時間がない。問を他課に割り振るためのロジック作りに費やして良い時間はせいぜい1問あたり1分が限度なのだが、生煮えな理由で他課に割り振ろうものなら執務室中にとどろきわたる大声で「クソ詰まってねえ理由で持ってくんじゃねえ!」と一蹴される。今ではめっきりだが、時に胸ぐらをつかまれて「◯ね」乃至それに類する言葉を吐きかけられることもあった。当時の俺はとにかく必死だったので、右も左もわからないなりに類似する前例や内規で反撃したり、どうしても平行線の場合は誰にも相談せず「お宅に割り振るってことで(偉い人の名前)さんまでクリアとってるんで、ゴネたいならもっと上の人出して下さい」などとハッタリかましたりして切り抜けたものだった

そんなこんなで大臣への説明予定時刻の朝7:00直前まで想定を作り続け割り振り続け、分厚い数百ページの想定問答集の束を大量印刷し、開始1分前に大臣室に持ち込むまでが俺の1日だった。もちろん国会対応以外にも各種会議の運営から予定表の作成といったルーティンまで仕事は大量にあり、1分たりとも気が抜けない日々であった

さて、霞が関では若手であっても、こうしたハードワークに耐性がない、仕事の処理力が低いと少しでも判断された瞬間に本流からスポイルされ、あっという間に干されてされてしまう。同年代の仲間内で「あの程度で◯ぬなんてクソつかえねー笑」と平気で陰口をたたかれるのはもちろん、二度と「生き残り組」と対等に口を聞くことはできない。どんなに官庁訪問で評価されようが、公務員試験で1位をとろうが、一度失格と判定された瞬間にわけのわからない新興国に飛ばされたり、代々2種職員がいたようなポストに飛ばされたりとその末路は惨憺たるものだ

もちろん階層が上がるにつれて求められるものはどんどん変容していくので、今ではあの頃ほどの体力仕事は求められない。それでもなお激烈な競争環境にあることは疑いなく、しかも外銀・外コンのように超短期決戦で終わってくれる性質のものでもなく、いつ果てるとも知れぬなか、溜め込んだ鬱積を部下へのサディスティックな詰め殺しでぶちまけながら、日々ギリギリの戦いに明け暮れているのが俺たちの悲しい本質である

考える人、指示する人、実行する人

この世の中は3層構造である。すなわち、

・問題の所在を明らかにし、何をなすべきか考える人間(A層:学者、シンクタンクコンサルタント的な集団)

・A層から提示されたいくつかの理論のうち一つを選択してなすべきことを具体的に指示する人間(B層:政治家、経営者的な立ち位置)

B層から与えられた指示を具体的な形に仕上げていく人間(C層:官僚、一般ビジネスマンなど現場で働く人々)

の3者。俺はC層なのでその立場からものを言おう。いまこの国にA層は不要だ。ぶっちゃけて言えば、偉そうな審議会でA層たちを集めて延々と議論している「べき論」の中身というのは、本質的には30年前からほとんど変化がない。少子高齢化がヤバイ、借金がヤバイ、地方がヤバイ、経済構造がヤバイ。それらがヤバイなんてことはみんなわかっていて、それこそ現場の作業員にすぎない官僚たちも、上は事務次官から下は入省1年目のひよっこまで当然認識しているのだが、何か理由があって解決できないまま積み残しとなってここまでやってきたわけだ。このままいくと国の借金がとんでもないことになるなんてことは耳にタコができるくらい聞き飽きてんだ

より正確な議論をするのであれば、少なくともいまこの国には(1)超具体的で、(2)実行可能性をすみずみまで点検した上で、(3)クリティカルな処方箋を提示できるA層だけが求められている。いま審議会にお呼ばれしているようなA層は、大抵上記のいずれの基準も満たしていないことが圧倒的に多い。優秀な人でも(1)と(3)をギリギリクリアできるくらいで、およそ(2)の視点はない

ではなぜこの国の行政がギリギリのところで回っているかと言うと、B層とC層の尽力による部分が大きいと思っている。そもそもA層が圧倒的に優秀であればB層の仕事はない。選択した提言をそのままC層に伝えればお役御免だ

ところがA層が無能すぎるがゆえに、B層・C層であっても一定程度の付加価値をつけてあげないとどうにもこの国は回らなくなってしまっている

あるべき姿(国の借金をなくす)はわかっている。どうすればいいか、結論(歳入を増やす)は出ている。しかしどうしても実現が難しい(消費増税は選挙に負ける)。では、どうすれば目標に向けて一歩でも前進していくことができるのか(→比較的実現が容易な小玉な施策の積み重ねなど)。国家行政の最前線で、B層とC層は本当に毎日頭を抱えながら奮闘している

よく「官僚組織は日本最強のシンクタンクなのだから、政治家は官僚をもっと活用すべき」という言説を拝見するが、それは本来的な役割としてはおかしい。国政の現場に携わる人間から見れば、この国にまともな学者やまともなシンクタンクが存在しないから、本来は現場の作業員にすぎない官僚がやむを得ず知恵を絞っているだけなのだ

「官僚支配」なのではなく、官僚にすべて丸投げせざるを得なかっただけなのでは?

A層の強化と淘汰がのぞまれる

若手キャリア官僚の役職別業務

課長以下の役職別業務について。

【課長】課で一番えらい人。基本的に作業はせず、体外対応や下から上がってきたもののチェックがほとんどだが、重要なプロジェクトの最初の動き出しは課長が取り仕切ることが多い。この役職年次から熾烈なサバイバルレースが始まり、人事もある程度露骨になっていく。部下も一気に増えるため、突き上げを食らう数も最も多く、中間管理職としての手腕がシビアに問われる。大体45歳前後〜50歳のキャリアがつく。

【企画官】課長一歩手前のポスト。併任などで課長が不在の課では実質一番えらい人になるが、基本的にスタッフ職で特定の部下をもたない遊撃職として配されることが多い。40歳手前でこのポストになるが、ほとんど2年程度の短期間ですぐ課長になることが大半。管理職の中では最下位という位置づけで、中二階職の勉強ポストも多い。

【課長補佐】その課の実務上の最高責任者。おおよそ30歳〜40歳までで、駆け出し補佐は「えらい係長」のような仕事をしているだけだが、年次の高い補佐になると部下の人事評価権が与えられ、一気に責任も増える。その分できることが増え、雑用から解放されて仕事が面白くなってくる役職。実質的にこのあたりから出世競争が激化し出す。花形部局の総務課の筆頭補佐をこなせれば同期では頭一つ抜けた存在となる。

【係長】20代中頃〜30歳。場合によっては部下がおらず末席となることもあるが、1〜2名の部下がつき上司からも当てにされるようになるポスト。とは言えやっている内容は係員とあまり変わらず、コピー取りから日程調整・資料作成まで。たまに議員レク対応などもこなし、国会答弁作成はこの役職の人が主力となる。自分の仕事もしながら未熟な係員の指導もしなければならず、体力的には一番しんどい役職だが、管理職から意見を求められることも増え、仕事の幅は広がる。

【係員】大体入省2〜3年目まで。あらゆる雑用を一手に担い、裁量はほとんどない。朝から晩まで倒れる直前までこき使われるが、そこで倒れず生き延びることができるかどうかが役人人生最初の試金石。役所によっては地方等への外部出向が一律に課せられ、羽を伸ばせることもあるが、本省係員は常在戦場である。

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無題

国会もなく閑散としていた役所に政治家たちが戻ってきた。財務省を辞めた知人が「役人辞めたらただの人だった」と言っていたが、政治家ほどその落差を滑り落ちてしまう人種もいない。常に死と隣り合わせの緊張感は、役所にはない。だからこそ自分の立身出世にばかり目が向いてしまう。他に有り余るパワーのやり場がないからだ

月に300時間残業しようが400時間残業しようが、国民が目に見える形で喜んでくれることは絶対にない。どんなに立派な法案を通そうが、完璧な会議設計ができようが、それが国全体の利益になっているはずだと妄信できるほど純朴な役人はいないだろう

そんな組織だからこそ、曇りなき心の月を先立てて、先の見えない世界を照らしながら一歩一歩進まねばならない

官僚は無能なのか

よくある官僚無能論について。最近では不夜城霞が関で薄給ながら24時間365日国のために尽くす素晴らしい人々などという見方もちょこちょこ出てきているが、官僚無能論は未だに日本に根強い。実際に働いている人間からすると、問題の根本は非常に単純明快で、

年々業務量は膨大化していっているのに人数は削減される一方

というただ一言に尽きると思う。

基本的に役所というのはその存在の性質からしてスクラップアンドビルドが極めて苦手な組織である。基本的に彼らは「効率性」という言葉を全く重んじない。何か新しいことを立ち上げるのに理屈が必要なのはどの組織でも同じだが、鳴り物入りでスタートしたある行政サービスが何年かののちその役割を終え、明らかに当初からは注目度が低下し誰も気に留めなくなったのに、「廃止する理屈がない」という理屈で延々と続けられる行政サービスのいかに多いことか。

一方で野党は延々と公務員バッシングを続け、行政のスリム化の名のもとに定員は年々縮小されていく。これでは当然一人あたり業務量は増加し、本来注力すべき業務へのリソース配分が低下することでクオリティの低い行政サービスが提供されてしまう。

こうしてずさんなアウトプットを見た政治家と国民が「最近の官僚どもはだらしない」と騒ぎたて、もっとこの役立たずどもの人数を減らせと喧伝し、さらに少ない人数で既存のあらゆる所管業務を担当することになり、一層低質なサービスが供給され、・・・という無限地獄が繰り返されていくのである。

若手キャリア官僚の年収

官僚の年収はボーナス込みでだいたい下記の通り

・係員クラス(1〜3年目):500万

・係長クラス(4〜6年目):600万

・課長補佐クラス(7〜15年目):800万

・企画官クラス(16年目〜18年目):700万

・課長クラス(19年目〜):800万

指定職(官審)以上は明細見せてもらったことがないのでよくわからない。基本給が低い反面、若手は特に死ぬほど残業させられるため、割には合わないもののそれなりにもらえる。企画官以上になると残業代がもらえなくなるため、補佐がおわるとちょっと下がる。課長になるとまた盛り返す。手取りは上記のだいたい0.7掛けくらい

 

財務省との戦い

俺は財務出身じゃないが、まあはたから見ていてもやつらは強い。個々の人材の厚みはもちろん、よく統率された組織全体のパワーもあり、そして各省の個別予算を全て握る省としての格もやはり頭一つ抜けている

某日、とある政策のとりまとめにあたって財務協議が本格化しだした頃、見知らぬ顔の連中がドスドスと足音を立てて執務室内に乗り込んできた。なにやらうちの課長と打合せのようだ。パーティションで区切られた打合せスペースからは、開口一番「てめえ、何考えてやがんだ!」の怒鳴り声。うちの課が財務をすっ飛ばして中間報告を公表してしまったことに相当ご立腹のようだった。別にうちの省がどんな報告出そうがカンケーねえだろうと俺は思っていた

その日、俺は課長と連れ立って馴染みのバーへ行った

「俺は間違ってないと思うんです。あいつらがなんと言おうがうちはうち、この件に関してはあいつらがごちゃごちゃ言おうがうちが主導権とって回していくべきだし、やつらとは戦わないといけないと思います」

「無茶言うなよ。今も昔も、あいつらとがっぷり四つで戦って勝てる省庁なんてない。なんとか引き分けられれば御の字だろう」

課長はしんみりとマッカランをあおった。財務との協議の最前線に立ってひとり戦う課長の言葉を前に俺はそれ以上何も言えなかった

その件は以降も財務と揉めに揉め、結局は5分5分の内容で最終成果物が公表され幕を閉じた。局全体で力を入れていた思い入れの強かった政策だけに、えも言われぬもやもやだけが俺の中に残った